沖縄では古来より、和装と異なる衣服文化があった。
琉球特有の服装は琉装と呼ばれ、中国大陸の漢服や
日本の着物の影響を受けながら発展した。

はじまり

琉球では16世紀頃に身分制度(王家、一般士族、庶民)が確立され、その服装も身分や階級によって色、柄、紋様、布地の種別をもって区別されていった。

琉球王府時代の、王族や士族婦女の礼服として「胴衣(ドゥジン)」や「カカン」の二部式の衣服がある。上衣の胴衣(ドゥジン)は、広めの襟(えり)で長さがあり、袖(そで)が広く筒状となり、風通しが良い。

ウッチャキー(打掛)はドゥジンとカカンの上から羽織る外出着で、和服のように太帯はせず、ゆったりと着た。帯により生地の紋用の美しさが中断されることもないので、表衣全体の柄が装飾になり、大柄の紋様が多いのも、琉装の特徴の一つである。

男女の違い

男性は、ゆったりとした長着の上に、太帯をし、前で結んだ。また、太帯の代わりに幅の狭い帯を締めて着ることもあった。女性は明治以降は狭帯を前で結んだりして着ることもあった。

庶民も、和装とは違う着方をしており、着用している着物の中の腰のあたりに細帯を締め、その上の着物の合わせたところをつまみ、腰帯に押し込んで着ていた。細帯を前で結ぶこともあった。このような着方は風通しがよく、暑い地域でも、快適に過ごせるといえる。

琉装には、他にも亜熱帯地域で快適に過ごせる様々な工夫が施され、東アジアで暮らす人々の智恵がつまっているといえる。

髪型

うちなーからじ
うちなーからじとは、琉球独特の、女子の髪型。東南アジアのタイやラオスの民族に同様の髪型が見られ、南方とのつながりが考えられるという。結い方は、髪を頭上に束ねてから、毛束の下の部分を片手でねじりながら持ち上げて手で輪を作り、輪にしたところに髪先を入れてしっかり押さえて形をつくる。固定した部分に、ジーファー(かんざし)を後方から指す。結い方のアングルや固定する位置、ふくらみのある左右や後頭部の形など極めてデリケートで、それらの微妙な釣り合いにより、異なる結い方とされ、上流、庶民、女郎の身分によって別れていた。